「みんな不完全なんです」(だから補い合うのです)

この世界に完璧な存在など存在しません。

神ですら完璧ではありません。神が完璧なら天地創造などする必要がないからです。

釈迦もキリストも完璧ではありません。だから苦悩したのです。

ましてや凡人の私たちは不完全だらけです。

でも、不完全だから自分に足らないものを求めて行動するのです。不完全だから悩み、苦しみ、理解し、成長しようとするのです。

男性が女性を求めるのも、女性が男性を求めるのも、お互いに不完全だからです。

(同性を求める人もいますが、この場合でも、性以外の部分で「自分に足らないもの」を持っている人を選びます。

私たちは完璧ではありませんが、それ故に、「自分に足らないもの」を求めて完璧になろうとするのです。

その「不完全なものが完全を求める力」が人間を動かし、自然を動かし、地球を動かし、宇宙を動かしているのです。

電気が流れるのも「+」とか「−」という偏った状態を解消するためです。

物が上から下へ落ちるのも、不安定なエネルギー状態を安定させるためです。

また実際、この世界にあるものは全てお互いに補い合うように出来ています。

男性と女性も、大人と子どもも、人間と自然も、神も人間も、見える世界と見えない世界も、お互いに補い合うように出来ています。

そしてそこに上下はありません。

元々は一つのものだからです。

大人がいなくなったら子どもは困りますが、子どもがいなくなったら大人も困るのです。

人間と自然も、人間と神も、立場の違いはありますが上下はありません。

だから、自分にないところを相手から受け取り、相手が持っていないところを相手に与え、つながり、支え合う必要があるのです。

でも人間には、「自分の方が正しい」と思い込む癖があるので、「違い」を理由に対立し、相手を否定し、戦おうとします。

そして、自分の正しさを相手に押しつけようとします。

これは「自己肯定感がない」と言っている人でも同じです。

「自己肯定感がない」と言っている人は、「自分に自信がないのは絶対に正しい」と思い込んでいます。そういう自信はあるのです。

だから、「やれば出来るようなこと」や、「やってみなければ分からないようなこと」にも手を出さず、そこから動こうとしないのです。

「自己肯定感が低い」と感じているのなら、「自己肯定感が低いから・・」などと言って固まっていないで、「自分に足らないもの」を求めて行動すればいいのです。

「出来ないこと」に意識を向けるのではなく、「出来ること」に意識を向ければいいのです。

どんなに能力が低い人でも、「出来ること」は必ずあります。そして、そこで他の人とつながることが出来るのです。

そして、その「自分にも出来ること」の中に、その人の気質があるのです。

鳥の特性は「空を飛べること」です。

走れないことでも、泳げないことでも、人間のように話すことが出来ないことでもありません。「出来ないこと」をいくら探しても、「自分らしさ」を見つけることは出来ないのです。

でも人は、「自分がすでに持っているもの」には気付かず、「持っていないもの」ばかり探そうとします。

だから自分の気質も分からず、自分を生かすことも出来ないのです。

粘液質の人は、話すことは苦手ですが、聞くことは得意です。だから「聞くこと」で他の人とつながればいいのです。

多血質の人は逆に、話すのは得意ですが、聞くのは苦手です。だったら「話すこと」で人とつながればいいのです。

胆汁質の人は話すのも聞くのも苦手ですが、行動することは得意です。でも、行動の前に心の中でシミュレーションするのは苦手なため、いつも「行き当たりばっかり」になります。

憂鬱質の人はその逆に、実際に行動することは苦手ですが、心の中でシミュレーションするのは得意です。だから失敗は少ないのですが、前にも進みません。

みんな何かが足らないのです。

だから、自分が出来ることを出し合って、お互いに補い合う必要があるのです。

四つの気質はそういう関係なんです。