愛知県一宮市三ツ井遺跡7 侵入を防ぐもの
三ツ井遺跡の西1.3km以内に位置する三ツ井二丁目の八幡神社に向かった。
社頭は南向きで、
社地は50cm〜1mほどの高さのごつい石垣で上げられている(写真左)。
社地の北西側は青木川に面しており、社頭を横切っている路地は
青木川に向かって微かに下っているようだ。
路地は社頭でT字になっており、
縦棒に当る路地が石造八幡鳥居の正面から南に延びている。
社号標と鳥居の社頭額には「八幡神社」とある。
石鳥居の正面奥には石造の藩塀、藩塀の奥には
本瓦葺入母屋造の重そうな屋根が覗いている。
参道の左手は社叢がよく育っており、
右手には隣に面している観音寺(浄土宗)の
屋根の中央に小さな屋根の乗った奇妙な建物(本堂?)がそびえている。
二段しかない石段を上がり、鳥居をくぐると、2間巾の藩塀は
横幅が狭く、それでいて連子窓のバランスが大きな、
特徴のあるものだった(写真中)。
しかも、その連子窓は隙間が異例に広いものだった。
装飾の紋は羽目板部のみで、
2面とも凹刻された枠内に波に千鳥の図柄だった(写真右)。
波に千鳥は神社ではあまり見たことの無い紋だ。
欄干部には左右に二つ、丸に五三の桐紋が入っている。
藩塀を迂回すると左右に立派な石灯籠。
正面に吹放しの拝殿が
高さ60cmほどの玉石を組んだ石垣上に巡らされた玉垣で囲われている。
玉垣の正面中央の親柱に付けられた
スス竹色に染められたアルミサッシの観音開きの扉が閉まっていた。
扉に上がる3段の石段の両手前には1対の狛犬が控えている。
ここまではよくある形式だが、
この拝殿の少し手前には見慣れない物があった。
小型の自然石を集めて地面に植えた中途半端な塚のような、
磐座のミニチュアのようなものだった。
明らかに参拝者の通行を疎外するものだった。
この石の集積が、藩塀の連子窓の隙間が広いことと
関係しているのかもしれないと思った。
もしかすると、藩塀が設定されるまでは、
この石積みが藩塀の役を果たしていたのかもしれない。
藩塀に刻まれている千鳥は
「ハマツチトリ(浜千鳥/放つ千鳥=去ってしまった渡り鳥)」として
『ホツマツタヱ』(地の巻24 コヱクニハラミヤマノアヤ)に登場する。
「オキツモハ ヘニハヨレトモ ※オキツモ=沖つ藻
ヘニハヨレトモ=海辺には寄れども
サネトコモ アタワヌカモヨ ※サネトコ=清寝床
アタワヌ=値わぬ
ハマツチトリヨ 」 ※ハマツチトリ=浜千鳥