【みんな生きている】安倍晋三編[ウラジオストク]/KTK ( アジア情勢 )
−その命、見捨てますか?−
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!安倍首相が演説 日・朝首脳会談実現に意欲》
■日・朝「拉致問題の解決に資する会談としなければならない」
ロシアのウラジオストクを訪問中の安倍晋三首相は9月12日午後、ロシア政府主催の経済フォーラムで演説し、日・朝首脳会談の実現に改めて強い意欲を示しました。
安倍首相は、北朝鮮に「融和的」な中国やロシアの首脳を前に、
「ぶれない態度で接していくことを確かめ合おう」
とクギを刺した上で、日・朝首脳会談について次のように決意を語りました。
「私も相互不信という殻を破り、一歩踏み出し、最後は金正恩(キム・ジョンウン)委員長と向き合わなければならない。現在、日・朝首脳会談について決まっていることは何もありませんが、これを行う以上、拉致問題の解決に資する会談としなければならない」
(安倍晋三首相)
来週には南北首脳会談が控え、2回目の米・朝首脳会談に向けた調整も進む中で、日本も直接会談に意欲があることを示しておく狙いがあります。
■平和条約と北方領土
安倍首相はまた、日・露関係では、平和条約の締結に向けて
「今やらないでいつやるのか」、
「我々がやらないで、他の誰がやるのか」
と強い意欲を示し、ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン(Vladimir Vladimirovich Putin)大統領に協調を呼びかけました。
これに対し、プーチン大統領は平和条約について「前提条件を設けずに年末までに締結しよう」と応じました。
その上で、領土問題については条約の締結後に「友人として解決を探り続けていく」と述べました。
■VOA拉致問題動画
■政府拉致問題HP
■警察庁HP
■石川県警HP
http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/
https://m.facebook.com/%E6%95%91%E3%81%86%E4%BC%9A-%E7%9F%B3%E5%B7%9D-1296296503804796/
■北陸3県有志の会ブログ
http://koudousuruhokuriku.seesaa.net/
■救う会全国協議会HP
■特定失踪者問題調査会HP
■No Fence北朝鮮の強制収容所をなくすアクションの会HP
http://www.facebook.com/nknet2015
■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。
<原文>
『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx
<日本語訳>
『北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html
■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」
■ベナTVHP
■ベナTVブログ
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■ベナTVFacebook
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■北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
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■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画
https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be
https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さんの動画(3)
■ベナTV(日本語版)
https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo
■ベナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be
■ベナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8
■ベナ救出団:日本語(1)
■ベナ救出団:日本語(2)
■ベナ救出団:日本語(3)
■ベナ救出団:日本語(4)
■ベナ救出団:日本語(5)
■ベナ救出団:日本語(6)
◆昭和52(1977)年9月19日
宇出津(うしつ)事件
被害者:久米 裕さん(Yutaka Kume)
(拉致被害時52歳)
※This person was Abduction by North Korea
石川県宇出津海岸付近にて失踪。
北朝鮮側は、久米さんの入境を完全否認している。
捜査当局は主犯格である北朝鮮工作員、金世鎬(キム・セホ)について、平成15年1月逮捕状の発付を得て国際手配しており、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。
平成18年2月の日・朝包括並行協議では、北朝鮮側は、金世鎬について「かかる人物は承知していない」としつつ、我が方からの関連情報提供を前提に、同人特定のための調査を行う旨回答している。
■石川県警HP
http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/
[September 19, 1977: Ushitsu case]
Abductee: Yutaka Kume (52, male, Ishikawa Prefecture)
Disappeared off the coast of Ushitsu in Ishikawa Prefecture.
North Korea denies all knowledge of Yutaka Kume having entered North Korean territory. The Japanese authorities issued an arrest warrant for North Korean agent Kim Se-Ho, the main suspect in this case, in January 2003 and listed him with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite Kim to Japan. In the Japan-North Korea Comprehensive Talks held in February 2006, the North Korean side asserted that it knows nothing of a Kim Se-Ho and has asserted that, if Japan provides all relevant information, North Korea will launch an investigation to identify him.
◆氏名:寺越 昭二
(てらこししょうじ)
(Shouji Terakoshi)
※This person was Abduction by North Korea
◆失踪年月日:昭和38(1963)年5月11日
◆生年月日:昭和2(1927)3月31日
◆性別:男
◆当時の年齢:36歳
◆当時の身分:漁師
◆身長:170cm
◆失踪場所:石川県能登半島沖
【失踪状況】
弟の寺越外雄さん(当時24歳)と甥の寺越武志さん(当時13歳)と高浜漁港を出港し、能登半島沖へ漁に出たまま行方不明になる。
翌日沖合7kmに漁船だけが漂流しているのが発見された。
漁船には他船に衝突されたような損傷があり、塗料も付着していた。
昭和62(1987)年1月22日、外雄さんから姉に北朝鮮の平壌で生活しているという手紙が届いた。
北朝鮮の説明によれば昭二さんは1968年3月30日、心臓病のため病死したとされているが確認されていない。
元工作員・安明進(アン・ミョンジン)氏が教官から聞いた話として、日本に侵入するところを目撃されたため、昭二さんは拳銃で射殺されて海に沈められ、外雄さんと武志さんは拉致されたとのこと。
明らかな拉致であるにかかわらず、武志さんが後に「北朝鮮に救助された」と拉致を否定したことから日本政府は拉致認定していない。
■石川県警HP
http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
http://www.facebook.com/sukuukai078
◆氏名:寺越 外雄
(てらこしそとお)
(Soto-o Terakoshi)
※This person was Abduction by North Korea
◆失踪年月日:昭和38(1963)年5月11日
◆生年月日:昭和14(1939)年2月7日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の身分:漁師
◆身長:170cm
◆失踪場所:石川県能登半島沖
【失踪状況】
兄の寺越昭二さん(当時36歳)と甥の寺越武志さん(当時13歳)と高浜漁港を出港し、能登半島沖へ漁に出たまま行方不明になる。
翌日沖合7kmに漁船だけが漂流しているのが発見された。
漁船には他船に衝突されたような損傷があり、塗料も付着していた。
昭和62(1987)年1月22日、外雄さんから姉に北朝鮮の平壌で生活しているという手紙が届いた。
元工作員・安明進(アン・ミョンジン)氏が教官から聞いた話として、日本に侵入するところを目撃されたため、昭二さんは拳銃で射殺されて海に沈められ、外雄さんと武志さんは拉致されたとのこと。
平成6(1994)年、北朝鮮の亀城で死去したとされる。
明らかな拉致であるにかかわらず、甥の武志さんが後に「北朝鮮に救助された」と拉致を否定したことから日本政府は拉致認定していない。
■石川県警HP
http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
http://www.facebook.com/sukuukai078
◆氏名:寺越 武志
(てらこしたけし)
(Takeshi Terakoshi)
※This person was Abduction by North Korea
◆失踪年月日:昭和38(1963)年5月11日
◆生年月日:昭和24 (1949)年9月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:13歳
◆当時の身分:中学生
◆失踪場所:石川県能登半島沖
【失踪状況】
2人の叔父寺越昭二さん(当時36歳)と寺越外雄さん(当時24歳)とともに高浜漁港を出港し、能登半島沖へ漁に出たまま行方不明になる。
翌日沖合7kmに漁船だけが漂流しているのが発見された。
漁船には他船に衝突されたような損傷があり、塗料も付着していた。
昭和62(1987)年1月22日、外雄さんから北朝鮮の平壌で生活しているという手紙が届き、生存していることが判明した。
同年8月、北朝鮮とパイプがあった地元選出の社会党(現・社民党)代議士と家族が一緒に訪朝、平壌を訪れ外雄さんと武志さんに会った。
それ以降、母は彼に会うために数ヶ月に1度の割合で頻繁に訪朝するようになる。
一方父親は2001年7月に訪朝した際そのまま北朝鮮に留まり、武志さん一家と平壌市内で生活、2008年に逝去した。
1997年7月11日、石川県金沢市を本籍として戸籍を回復している。
北朝鮮では金英浩と名乗っていて、肩書きは平壌市職業総同盟副委員長。
平成14(2002) 年10月3日(拉致被害者5名の帰国の12日前)に、朝鮮労働党員及び労働団体の代表団の副団長として日本を訪れ、石川県の生家に宿泊した。
明らかな拉致であるにかかわらず、本人が「北朝鮮に救助された」と拉致を否定したことから日本政府は拉致認定していない。
■石川県警HP
http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
http://www.facebook.com/sukuukai078
【寺越事件とは】
昭和38年(1963)5月11日、石川県羽咋郡志賀町沖合にてメバル漁操業中だった寺越昭二さん(36歳)、寺越外雄さん(24歳)、寺越武志さん(13歳)が行方不明となり、死亡認定された後の昭和62年(1987)1月22日に北朝鮮にて生存を伝える手紙が親族のもとに届き判明した事件。現在は武志さんのみ北朝鮮で生存しています。
先日逝去された寺越文雄さん(神戸市東灘区在住)は外雄さんの兄、外雄さんが北朝鮮でもうけた家族への支援を続けていました。
文雄さんは、北朝鮮で一大事が発生したときに、このままでは救出すべき対象から、彼らが外れてしまうのではないかと心配して、
1.外雄の拉致認定
2.人身保護請求
3.家族の日本国籍の確認
を政府に求めて行動を開始していた矢先、病に倒れ帰らぬ人となってしまいました。
昭和62年、生存の知らせを受け、寺越家は関係各機関に救出の要請をしました。そして、当時社会党の衆議院議員だった嶋崎 譲氏が北朝鮮当局との交渉を担当し、寺越事件は「海難事故」とされ、寺越家は分裂してゆくことになります。
政府は寺越家の3人を拉致認定しない理由として、寺越武志さんが一時帰国を果たした折、自ら「拉致ではない」と否定したことを第一の理由としていますが、事件が明らかになった時点で、政府が全面的にこれを引き受けて交渉していれば、今のような事にはなっていなかったはずです。
私たち救う会兵庫は、亡き寺越文雄さんの遺志を引き継ぎ、外雄さんの家族の救出へと繋がる国籍認定を引き続き、政府に求めてまいります。
(救う会兵庫・長瀬 猛さん)
《特定失踪者・明石靖彦さんについて》
◆氏名:明石 靖彦
(あかいしやすひこ)
(Yasuhiko Akaishi)
◆失踪年月日:昭和50(1975)年5月18日
◆生年月日:昭和35(1960)年6月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:14歳
◆当時の身分:中学3年生
◆身長:165cmくらい
◆体重:55kgくらい
◆血液型:B型
【失踪状況】
朝、「すぐ帰る」と言って自転車で出たまま帰宅せず。
鉢ヶ崎海水浴場付近で自転車が発見され、沖合にボートが浮いていてその中に靖彦さんの草履と靴下があった。
ボートは倉庫に保管されていたもの。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による明石靖彦さん失踪事件の解説】
北朝鮮の拉致を疑わせる事案には度々変な遺留品が登場します。例えば昭和50年(1975)に失踪した明石靖彦さんのケース。失踪後海上で発見されたボートの中に本人の遺留品がありました。
当時町内会長で捜索に当たった方からお話しを伺いましたが、ボートの中には本人の草履と海水パンツがあったとのこと。前の記録は草履と靴下だったので、他の証言と合わせ明石さんの件については他のことも含め今回入手した情報とこれまであった情報を突き合わせなければなりませんが、海水パンツだったとすれば5月18日の能登で海水浴をするはずもなく、海水パンツを脱いで海に飛び込むとも思えません。最初の情報の靴下だったとしても靴下を履いた上に草履を履くとも思えません。どちらにしても不自然です。
これらは本人が海難事故で死亡したことを偽装するためのものである可能性があります。山本美保さんや秋田美輪さんの海岸に落ちていたバッグも本人が自殺したように見せかけるものでしょう。
しかし、何か頓珍漢なところが北朝鮮のやることです。「いちおうマニュアルでは『偽装工作をせよ』と書いてあるが、何人拉致しても何もしてこないんだから、とりあえず何か置いとけば良いだろう」といういいかげんなやり方だったのではないか。そんな気がしてしかたありません。
《特定失踪者・安達俊之さんについて》
◆氏名:安達 俊之
(あだちとしゆき)
(Toshiyuki Adachi)
◆失踪年月日:昭和56(1981)年6月20日
◆生年月日:昭和38(1963)年1月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:石川県白山市
◆当時の身分:会社員(金沢国際ホテル)
◆身長:168cm
◆特徴:中肉中背
◆失踪場所:石川県石川郡鶴来町の友人宅を出てから
【失踪状況】
失踪当日、車で母親を歯医者に送りそのまま出勤。午後6時頃、同僚の女性とともに友人宅を訪れるが、友人は不在で家人が対応。
その後午後7時〜7時半の間、別の友人が白山町交差点で助手席に女性を乗せている俊之さんの車とすれ違ったのが最後の目撃情報。
その日は帰ってこなかったが、それまでも2〜3日家を留守にすることがあったので両親も特段気にとめなかったが、22日か23日に勤務先から無断欠勤しているという連絡があって失踪に気づいた。
通帳も印鑑も持たず、まとまった金銭も持っていない。自動車も見つかっていない。
28日夕方、自宅に電話があり、「俊之つかまっているよ」との内容。幼い女の子のようなたどたどしい言葉だった。
その10分後にも無言電話があった。
《特定失踪者・小西能幸さんについて》
◆氏名:小西 能幸
(こにしよしゆき)
(Yoshiyuki Konishi)
◆失踪年月日:昭和29(1954)年4月22日
◆生年月日:昭和8(1933)年9月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:石川県輪島市河井町二部12−2
◆当時の身分:家の旅館を手伝っていた
◆身長:165cm
◆失踪場所:石川県穴水町駅
【失踪状況】
自宅を出るとき、下駄履きで荷物も何一つ持たず、母と目を合わせたが一言も話さなかったので、家族は近所にでも出かけたものと思った。
その日、七尾線輪島駅から午前7時半頃の金沢行きに乗り、3つ目の穴水町で下車したのを近所の人が見たとのこと。
前日夜に自室で小銭を数えているような音を旅館の女中が聞いている。
小遣いを貰っていなかったので、所持金は小銭程度と思われる。
身障者の兄が働かなくても生活できるように、母は旅館を開業していた。そのため本人は、自分が邪魔であると感じており、チャンスがあれば家を出ようと思っていたようだ。
《特定失踪者・坂下喜美夫さんについて》
◆氏名:坂下 喜美夫
(さかしたきみお)
(Kimio Sakashita)
◆失踪年月日:昭和38(1963)年
◆生年月日:昭和8(1933)年2月9日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆当時の住所:石川県七尾市
◆当時の身分:親戚の乾物屋に勤務。以前は金沢の陸上自衛隊にいた
◆身長:160cm
◆特徴:
1)中肉
2)口数は少ない方
3)飲酒する
◆失踪場所:石川県七尾市作事町
【失踪状況】
乾物屋の仕事で自転車で配達に出てそのまま自転車ごと失踪。
財布、運転免許証も家に置いたまま。
《特定失踪者・七條 一さんについて》
◆氏名:七條 一
(しちじょうはじめ)
(Hajime Shichijou)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年2月10日
◆生年月日:昭和23(1948)年8月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:東京都杉並区方南町1−24−12 三枝アパート
◆身長:165cm
◆靴のサイズ:24.5cm
◆特徴:
1)中肉中背
2)右利き
3)眼鏡着用
4)盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:石川県金沢市
【失踪状況】
北陸方面を旅行。
8日に能登を回って西宮市の母の実家に立ちより、徳島に帰る予定で、金沢市のユースホステルを出発し、輪島市で宿泊。
9日「能登を回ってバスが遅れ、大阪行きの汽車に遅れた」と同じ金沢市のユースホステルに再度宿泊。
10日朝出発し、以後消息不明。
「雪が降っていたので兼六園の雪景色を見てくると言って10センチ位積もった雪の上を堤防の方に向かって歩いて行った」という証言と「東尋坊・永平寺に回ると言って宿を出る」という証言がある。
2月10日は夕方のフェリーで西宮市の母の実家から祖父母を徳島に連れて帰り、翌日行われる法要に出席する約束をしていた。
事前に東京の下宿から西宮の母の実家に法要出席のための背広を送ってあった。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
■石川県警HP
http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■徳島県警HP
http://www.police.pref.tokushima.jp/
《特定失踪者・遠山文子さんについて》
◆氏名:遠山 文子
(とおやまふみこ)
(Fumiko To'yama)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年7月
◆生年月日:昭和27(1952)年5月2日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:東京都墨田区押上
◆当時の身分:建設会社を退職直後
◆失踪場所:石川県羽咋市。柴垣の海水浴場に滞在したことまでわかっている
【失踪状況】
交際中の男性とともに失踪。
3月末に家出してアパートに住む。
そのアパートを両親が訪ねた1週間後引き払う。
当初は墨田区押上に在住。
その後友人にアルバムなどが送られてきて、男性とともに福岡、東萩、津和野、札幌、女満別、知床、摩周湖、釧路、小樽、舞鶴、大阪と旅行した形跡を残す。
アルバムには写真ばかりではなく航空券、宿の領収証などが細かに張り付けてあり、途中で宿泊人数が4人になっている。
男性とは同じ職場で、同じ日に退社。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
《特定失踪者・丸山善昭さんについて》
◆氏名:丸山 善昭
(まるやまよしあき)
(Yoshiaki Maruyama)
◆失踪年月日:昭和41(1966)年3月31日
◆生年月日:昭和18(1943)年8月9日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:石川県加賀市
◆当時の身分:漁船員(底引き網漁船)
◆身長:160cm
◆特徴:
1)面長
2)優しい人柄
3)酒好き
◆失踪当時の服装:当日は背広上下で裸足で下駄履きの格好
【失踪状況】
三国町の下宿に「加賀の実家に行ってくる」と伝言して出かけたまま行方不明となる。
当日は月末の給料日で、天気が良くても出港をしないことになっていた。
■福井県警HP
http://www.pref.fukui.jp/kenkei/
◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
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■救う会兵庫HP
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[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]
Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.